- コラム
【コラム①】東日本大震災での支援活動から創業に至るまで
「不要なもの」からエネルギーを生み出す企業、それがサステイナブルエネルギー開発株式会社です。私たちがこのエネルギー供給事業を主軸として創業に至ったのは、まだ「サステイナブル」という言葉が広く認識されていなかった2014年のこと。きっかけは、2011年の東日本大震災における支援活動でした。今回は、この「サステイナブルエネルギー開発株式会社」がどのような経緯で創業に至ったのか、その背景をご紹介します。
自社技術を活用した温浴施設のボランティア
当社が創業する前、代表の光山は山形県で「バイオソリッドエナジー株式会社」を経営し、県内7つの下水処理場の運営管理を請け負っていました。当時、国内初の試みとして、公共下水道から発生する不要な汚泥を固形燃料化する事業(「下水汚泥由来の固形燃料製造プラント」)を手掛けており、これがのちの起業に繋がる重要な役割を果たしました。震災発生時、光山は自衛隊からの要請を受けて被災地に駆けつけました。季節は3月で、被災地の最低気温は0度前後まで下がる日もあり、仙台市をはじめ東北各地では雪が降り積もるほどの寒さでした。しかし、電力の復旧には1ヶ月以上を要し、被災地では寒さをしのぐ暖房器具が十分に稼働できないなど厳しい状況が続いていました。
そこで光山が始めたのが、温浴施設の運営を通じたボランティアでした。自社の「固形燃料製造プラント」(小型ボイラーと固形燃料)を活用し、寒さで苦しむ避難所に温かいお湯を提供したのです。使用したのは、下水処理場から出る汚泥を乾燥させてつくった固形燃料。この燃料は石油を使わず環境に優しい上、石炭火力発電所の補助燃料としても利用されるクリーンなエネルギー源です。こうして運営された温浴施設は「魚竜の湯」と名付けられ、現地の子どもたちが描いた絵とともに、被災地にあたたかな光を灯しました。
身近な資源を活用して自給自足のエネルギー循環をつくる
そうした中、光山が直面したもう一つの課題が、避難所で大量に発生するゴミの処理問題です。被災地には多くの支援物資が集まる一方で、生活ゴミが大量に発生し、仮設トイレの汚物も増えていく現実がありました。さらに、避難所ではゴミの収集が追いつかず、路上に生活ゴミが溢れるという二重苦の状況が続いていたのです。被災地の課題を目の当たりにした光山は、ある考えに至ります。「この溢れているゴミを燃料に変えて、電力をつくれないだろうか」。かつて、家業を通じて環境問題に取り組んでいた光山は、温浴施設の運営を通じて、環境にやさしい持続可能なエネルギーが、災害時の自給自足にも役立つことを実感していました。こうして誕生したのが、生活ゴミをエネルギーに変え、豊かな地域社会の実現に貢献する「サステイナブルエネルギー開発株式会社」です。